ふと思った、身近な「おもてなし」は誰にでもできるということ
今年であの東日本大震災から6年が経っているんですね。
最近日本のいろいろなところで地震が起こり、その度にあの時のことが思い出されます。
直接の被災者ではないけれど非日常な生活でした。
しかし慣れは怖いもので、防災に対する意識は高まったものの地震の揺れに対する警戒感が薄れている今の自分がいます。
こんなことでまた大地震や災害が起こったらイメージ通りの行動ができるか不安が残る。。繰り返し意識を喚起する必要があるなと反省します。
普段は意識しないのですが、この時期はなにかと考えることが多く、ふと電車に乗ったとき目の前の外国人観光客のことを考えてしまいました。
最近は訪日外国人も多くなりましたよね。何か起きた時、自分以外の人にどう対応しようかなと。特に外国の方は何もわからない状況なので、不安は私たち以上に大きいはず。
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私自身も海外では日本と勝手が違うため戸惑うことがあります。
普段であれば聞けば解決しますが、緊急時にはそんな余裕もありません。いちばんの対応はまず情報が伝わること。
それで電車に乗っていた時、結構な確率で電車が止まってしまうことってありまあすよね。
その時車掌さんからはなぜ止まっているのか、発車見込みの状況説明があるのですがそれが日本語だけというのがどうも気になってしまいました。
過剰なアナウンスはそれでもいいけど、せめて電車がとまった時くらいは日本語と合わせて英語でもしてくれたらすごくありがたい。
20分以上停車する時はその必要性を感じるのは私だけでしょうか。。accidentとかstop、○○minutesなんて中学生で習う英語で十分表現できます。
観光での国際化もいいけど、いざという時のちょっとした気遣いも「おもてなし」だと思うのですよ。
かまえたオモテナシではなく、少しでも不安をなくす(リラックスできる)状況をつくるのも“おもてなし”かなと思います。
それをあえて“おもてなし”なんて言いませんけどね。